初盆 |
2010年8月13日〜16日 |
旅の目次に戻る |
5月10日に母親が亡くなり、兄嫁もその少し前に他界しているので、今年は身内の初盆が二つ重なってしまいました。私の実家は高知県の南西端、足摺岬に程近い、テレビの龍馬人気も素通りして行く小さな村です。若者も都会に出ていってしまい、盆の行事も昔ながらのやり方が守られているか気に掛かりながらも何年か振りの故郷の暑い夏を味わってきました。 |
8月13日 9:50 13日ともなれば帰省客もぐっと少なくなって 心配したほどの混雑も無く、 広島行きの新幹線に乗り込む事が出来ました。 |
乗車券 駅名は中村ですが、平成17年4月10日に 旧中村市と旧西土佐村が 合併して四万十市になりました。 |
岡山着13:21 岡山での乗り換え時間が8分しかないので、一本遅らせて 14:04発の「南風13号」にしました。 待ち時間に駅の待合室でおにぎりを食べ腹ごしらえ。 先は長いのだから・・・・ | |
瀬戸大橋 14:34 瀬戸内海を渡る南風の窓から 天気は薄曇り | |
14:40 四国に着きました。 香川県坂出の町が見えてきました。 | |
15:40 列車の左眼下に見える、名勝「大歩危小歩危」の「小歩危」 | |
列車の右に見えるようになったのが「大歩危」 走り去る木々の隙間を狙っての撮影です。 カラフルなラフティングボートが時々見えました。 | |
高知駅着16:40 駅から伸びている大通りを真っ直ぐ10分も歩くと ♪坊(ボン)さ〜んかん〜ざ〜しぃから買うをみぃた♪ヨサコ〜イ〜ヨサコ〜イ♪ の「はりまや橋」です。 | |
凄い勢いですれ違ったのはアンパンマン列車 四国には色んなバージョンのアンパンマン電車が走っているそうですよ! | |
須崎近辺17:30 田んぼの稲は黄金色に実り、すでに刈り取りの終った所もあります。 さすが温暖なので二毛作の出来る土地柄です。 | |
中村着18:45 今朝東京駅を出発してから10時間近く電車に揺られて ここ、四万十市中村駅にやっと着きました。 | |
目的地はまだ先なのですが、 今日は中村駅前のビジネスホテルで一泊します。 一泊二食付きで予約しましたが、食事無しにすれば良かった。 何故ならば、1人では食べきれないほどの料理が出て 、それはそれで良かったのですが、メニューを見たらそれは4500円の料理だったのです。 もっと安い定食が色々有ったのに〜! 1人でぼそぼそ食べるには勿体無かった・・・・ | |
8月14日 10:10中村発 翌朝足摺方面に行くバスは二時間に一本位しかなくてホテルでのんびりしました。 駅前の椿の木に実がたくさんなっています。 椿の実の事を「カタシ」って呼んでいた気がします。 これからとった油が「「カタシ油」、椿油の事です。 小学校の時、この実を生徒と父兄一緒になって必死で採って、 高知までの修学旅行の費用の足しにしたものです。 | |
11:20 土佐清水を通り過ぎ これから海岸線に沿って狭い道をくねくね、岬を回っていきます。 | |
土佐清水港 入り口が狭く、かなり奥まで入り込んだ土佐清水港は台風の時は大型船舶も非難してきます。 最近は「清水さば」を全国的に売り出しています。 | |
「中の浜」部落11:30 「ジョン万次郎」は「中浜万次郎」の事ですが、 15歳の時にこの部落から漁に出て漂流したんですね。 | |
臼バエより 椿のトンネルの狭い道を何度も曲がり、 対向車とすれ違う時は広い場所までバックしてやり過ごします。 都会から来てこの道を運転するのはよほどの熟練者で無いと危険です。 やっと故郷の村が見えてきました。 右のこんもりとした木の下が部落の墓所です。家に行く前に墓参りしましょう。 突端の岬を回ると足摺岬が見えて来ます。 猪の子供が時々道路を走っているとか・・・・ | |
アコウの大木の木陰で太平洋を眺めながら眠る祖先達 | |
墓地 右上の高い所が臼バエです。 黒潮がじかに岩に打ち寄せて、磯釣りのメッカでもあります。 昔と比べたらお墓がどれも立派になって、 思い描いていた故郷の墓とはなんか違うんだな〜。 お盆なのでどの墓にも花とシキビが飾られているのは同じですが、 後で聞いた話によると、このごろ猪が出没して、 お墓のお供え物や花を食い散らかすそうで生の物は置けないらしいのです。 だから全部造花なのか〜! | |
我が家に着いて見ると玄関に初盆の家の印がありました。 普段は誰も住んでいないので 明治時代に建った我が家は廃屋と化しています。 | |
近隣の町に住む親戚や、 先に乗り込んだ兄弟が初盆の準備を済ませていました。 初盆の間、その他大勢の位牌の入った仏壇は締め切りにして置くそうです。 それに、あまり古い位牌を何時までも置いて置かなくても良いそうで 三代以上以前の位牌はお寺でそれなりの供養をして処分してくれるようです。 天保年間のまで有って入りきらないんだもの・・・・ 四国八十八箇所38番札所が近いこの地は、 真言宗「空海」こと弘法大師を、今だに「お大師様」と親しく呼び、 生活の中に仏が溶け込んでいる土地柄です。 | |
お盆の間は神棚を閉じる意味で 白い和紙を下げているのだそうです。 | |
立っても、座っていても暑いので家から3分ほど歩いて下の浜に行って見ました。 途中の溝に蟹が沢山いました。 そういえば子供の時、草を使ってこの蟹を釣って遊んだな〜! まだ健在だったんだ・・・・ でも、こんなに大きい蟹だったっけ? 10センチもある。栄養が良くなったのかな・・・・ | |
子供のときは1日中この浜で遊び真っ黒になっていました。 もっとずっと広かった気が・・・・・ ウニの棘が刺さって痛くて 酢を掛けて抜いたものでした。 | |
岩場での磯遊びも裸足で飛び回っていたのですが、 今では、裸足では足が痛くて歩けません。 姪のスクール水着を借りて海に入ってみました。 ウワーーーッ! こんなにテーブル珊瑚が綺麗だったとは思っても見なかった。 その上、ツノダシ、ヘラヤガラ、ハコフグ、トビエイ、ヤガラ、何種類ものチョウチョウウオ が、狭くて水深4〜6m位の所に沢山泳いでいるでは有りませんか イヤーー!こんなに素晴らしい海が今でものこっているとは・・・・ 小さい頃良く取った「タカツベ」というニナ(貝の種類)が岩に沢山くっついていたので 取って水着の中に入れて身体中デコボコになって大笑い。 塩茹でして懐かしい味を楽しみました。 | |
15日朝6時から初盆の家から二人ずつ出て 小学校校庭で、今夜の盆踊りと、新仏の祭壇作りをします。 今年は14人の新仏がいるそうです。 この小さな村で14人とは多いですね! | |
盆踊りの櫓を組みます。 幔幕も紅白ではなく黒白なんですね! | |
斜面にへばり付くように建てられた家々も どれも立派になって全体が迫って来るようです。 住む人のいない我が家は朽ちるに任せて哀しい限りです。 | |
昼間ホテルで精進落としを済ませ、 夕方7時から盆踊りが始まりました。 | |
14人の新仏 昔は1人ずつ竹笹の小部屋で、新仏毎にお参りした記憶がありますが 何時の頃からか全員一緒になったのですね。 その方がお参りも一度に済むけど・・・ 新仏の写真の中に、見覚えのある写真が何枚かあって、 ああ・・・この人も無くなったのかと、故郷を後にした年月の長さに胸が詰まります。 | |
盆踊りも佳境に入り太鼓叩きも何人か交代します。 この村の盆踊りは独特の節回しで 哀愁を帯びた音色と歌詞は、 今では詠える人がいなくて何年か前の人のテープを流しているのだそうです。 踊りも単調だけど中々覚えられない難しい足運びと振りなので 踊りの輪の中には入れなかったのが心残りです。 | |
新仏のお参り |
盆踊り |
盆の行事も夜9時過ぎに終り、遺影と位牌供物を持ち帰ってもとの位置に戻しします。 翌朝(16日)、線香と供物を持って墓参りをして仏を送ります。 | |
私は9時2分発中村行きのバスに乗る為に墓参りには行けませんでした。 戻って来るたびにせめて一年に一度は帰りたいものだと思うのですが 現実の生活に戻れば、それなりに月日が過ぎて行き あっという間に3年4年と過ぎていくのです。 ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食(カタイ)となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや (室生犀星) ・・・・完・・・・ |